2008年11月26日 (水)

心の静謐

 ある男が天に向かって問うた。
――どうして世の中は、自分の思うとおりにいかなくて
――こんなにも苦しいのですか
と。

 天は答えた。
――風を頬に感じ、大地の感触を素足で確かよ
――流れに身をゆだねつつ、静かに時を見つめよ
――さすれば、汝が求める答えは微笑んでくれるであろう
と。

 かくて男は、心に静謐を得た。

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2007年5月13日 (日)

基本は素直な心

己の立場に縛られない。
邪な思惑に動かされない。
常に自分の気持ちに正直で在る。
何事に対しても基本方針は変わらず、対処する際の姿勢は同じ。
人としてそう在るべき姿が基準。
周囲の戯言に惑わされてたまるか。

だから、直心自在。

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2006年12月17日 (日)

真理の淵

最近のテレビや映画は小粒なものばかりでおもしろくない。
小説にしても魂を揺り動かされるようなものが少ないのではないだろうか?

物質的な裕福さを当たり前のように享受する主人公たちが、あくまでも個人レベルを
超えることのない範囲で展開していくドラマ。
恋愛、家族愛、趣味の世界、将来の夢、何を取り上げているにしても、
小さな世界しか描かれていない。
視聴者や読者がそこから発展的に思考することがない。

別に全てがそうある必要はないけれど、たまには欲しい。
その物語に接したばっかりに、その向こう側にある何かについて考えざるを得ない、
そんなテレビや映画や小説。
例えば、愛する人と死別するドラマなら、失って悲しいという表面的な内容に留まらず
「生と死」についてとことん考えることを要求してくるような物語。
展開をなぞるだけなく、彼方にある真理を見通すことを要求し、切り込んでくる物語。
純文学的なアプローチになるのかな?

生きること、死ぬこと、自分のこと、など。
いったいそれがどういうことなのか突き詰めて考えたことのある人なら
理解していただけると思うが、「真理の淵」を一度でも覗き込んだ者は
一生そこから離れることはできない。果たして答えがあるのかどうか不明だが、
真理を求めて暗い淵の底を見つめ続けることになる。
でも、それが「今」を大事に生きることではないか。
そんな気がする。

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2006年12月10日 (日)

迷いのある者は木の下にゆけ

成田美名子著「エイリアン通り」でのセレムの言葉。
心に迷いが生じたとき、木の下で瞑想に耽ることで自然と同化する。
樹木をはじめとする自然界の霊妙なるエネルギーと一体化することで迷いが解ける。

だから、街にあっても緑が必要なのだと思う。
自然を肌で感じることのできる環境が必要なのだ。
水(Water)と風(Wind)と森(Woods)と。
3つのWからなる「W^3(=WWW)」がポイント。

Banner_03_2 →「セレムのいんけんタムシ!(by シャール君)」を知っている人?

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2006年12月 3日 (日)

物事の実態を見抜く力

物事の実態(真相)を見抜く力。
「洞察力」があるとか、「見識」が高いという。(英語では"insight")
広辞苑(第三版/岩波書店)によると、
  ◆洞察:よく見通すこと。見抜くこと。
  ◆見識:①物事の本質を見通す、すぐれた判断力。
         また、ある物事についてのしっかりした考え、見方。識見。
       ②気位。
とある。また、新明解国語辞典(第六版/三省堂)によると、
  ◆洞察:普通の人が見抜けない点までを、直感やすぐれた観察力で見抜くこと。
  ◆見識:物事の成行きや本質を見抜く、すぐれた判断力(に基づいた意見)。
と書かれている。

世の中にさまざまな情報が氾濫し、凶悪な犯罪や不幸な事件の発生と
信じられない不祥事を耳にすることが多い昨今、
物事の実態(真相)を見抜く力が必要とされている。
独立不羈の精神を失ってしまったマスコミはあてにならないし、
何が本当で何が嘘かを自分で判断していくしかないのだ。
目先のことに囚われず、何が真実であるかを見通していきたい。

なんか理屈っぽいなあ。
なんで今日はこんな内容になったのかな?
ニュースのせいかな?

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2006年9月17日 (日)

闇の誘いと光明

ココロが文字どおり折れそうになると、家族以外の誰とも話したくなくなる。
たとえそれが仕事であろうと、他人に会うことがわずらわしくてイヤになってくる。

精神が限りなく「引きこもり」状態に近くなっているのかもしれない。
または、無気力症候群かコミュニケーション不全症候群の初期なのかもしれない。
要するに、退行現象に陥っているのだ。

このままどこかへ出奔してしまおうか?
それとも、この世とのつながりを自ら絶つか?
心の闇に支配されそうな自分をなんとか思いとどまらせているのは、
家族や友人たちとのツナガリを感じている自分がいるから……。
そんな気がする。
とても微妙なバランスの上に、かろうじて自分が在ることを再認識。

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2006年9月10日 (日)

折れるな、ココロ

人生をそれなりに生きてくると、ただやみくもに突っ走ることは減り、
逆に、反芻してばかりで前に進めないことが多くなってくる。
いったい自分は、今、何をやっているのか?
これから何をやっていきたいのか?
こんなことでいいのか?
懐疑的な思考の螺旋にはまってしまうと、ますます進まなくなってしまう。

そんなとき、自分に言いきかせる。
自分という存在は、自分以上でも自分以下でもない。
今ここに在る、ありのままの自分を受け容れるしかない、と。
そこからしか次には進めないのだ、と。

どうも最近、滅入ることが多く、弱気になっている自分。
心が折れてしまいそうな状態に在る自分。
平静を維持することって、けっこう微妙なバランスの上に成り立っているのだなあ。

自分に対しても、他人に対しても、
ありのままを受け容れる心の広さと懐の深さを持ちたい、
と思う今日この頃。

Banner_01_8 ←愚痴にお付き合い、ありがとう。

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2006年7月30日 (日)

心に風を

生きているとイヤな事やつらい事に心がくじけそうになるときがある。
負の象徴はさまざまな形に姿を変えて、人の心に忍び寄ってくる。
そして、心の奥底に澱となって蓄積されていく。

人はそれを「ストレス」と言ったり、「フォースの暗黒面」と表現したりする。
溜まってしまった悪しきモヤモヤは、うまく開放されることがないと
どんどん大きくなって、その人を支配する「心の闇」というケモノに成長する。
支えることができないほど強大になった心の闇は行き場を失い、
やがて外部(社会)へ害となって解き放たれることになる。

だから、心に淀みを作ってはならない。
心の窓を開けて、もやもやとした悪しき感情を吹き飛ばしてくれる風を
招き入れなければならない。
川の流れに心を浸して、底に溜まった澱を洗い流してもらわなければならない。
心を清浄に保ってくれる風と水と共に在らんことを意識する必要がある。

限られた範囲の中で「うじうじ・くさくさ」していてはいけない。
手足を縮こまらせて狭い空間に閉じこもっているのは誰でも窮屈に感じるもの。
ゆったりとした気持ちで大の字になって寝転ぶことが大事。

太陽がふりそそぐ公園の木陰で、そよ風に吹かれながらのんびり昼寝する感覚。
もしかしたら、そういう心持ちの状態に在ることが
「悟りを開く」ということではないだろうか?

Banner_04_2 ←最後まで読んでくださってありがとう。

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2006年6月19日 (月)

モノを大切にする心

亡くなった父が私たち家族に遺してくれたものについて考えた。
父は贅沢を好まず(小市民的な贅沢は除くが)、お気に入りの愛用品を大事に
使う人だった。
新式を全て否定していたわけではないが、AT車は好まずMT車に乗る人だった。

子供のころに太平洋戦争を経験した父は、私にはとうてい量り知ることのできない
さまざまな体験をしたことだろう。
価値観が根底から崩れる激動の戦後を経て、高度経済成長を通過し、、
市場競争至上主義、黄白万能主義の時代へと歩んできたわけだ。
その中で、ひとつの答えとして「モノを大切にする心」を得たのかもしれない。
モノ(物・者)を大切にする心。やさしい「こ・こ・ろ」を。

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2006年6月18日 (日)

顔つき

「顔つき」、類語として「顔立ち、容貌、面構え、顔」などがあるが、
感情などによって変わる表情のことを指す。(参照:類語例解辞典(小学館))
人生をそれなりに経験すると、その人の「生き方」や「生きざま」が
好む好まざるにかかわらず「顔つき」に表れてくる。
「誠実と不実」、「謙虚と横柄」、「温和な性格と激昂しやすい性格」など、
その人の顔に不思議と浮かび上がってくる。
何に価値を置き、何を理想と求め、如何に生きてきたか。
その結果が「顔つき」であり、集大成であると言ってよいと思う。

ふり返って、自分はいったいどういう「顔つき」をしているのだろう。
人生の達人には、どうすれば近づいていくことができるのだろう。
「人のありよう」とはいったい何なんだろう。
わからない。わからないが、前を向いて進んでいかなければならない。

PS.まもなく対クロアチア戦がキックオフされる。
   勝っても負けても、日本代表にはサムライの「顔つき」で
   胸を張ってピッチに立っていてもらいたい。頑張れ!

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