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2009年9月27日 (日)

常野物語

 恩田陸の《常野物語》を購入した。現時点、単行本・文庫本、それぞれ3冊ずつ刊行済みのよう。
   ◆光の帝国
   ◆蒲公英草紙
   ◆エンド・ゲーム
 前知識があったわけではなく、たまたまいつも立ち寄っている本屋で何かおもしろい本がないかと物色中に目についたもの。『光の帝国』と目が合った、というのが正確かもしれない。
 連作短篇の形態をとっている『光の帝国』の中の「大きな引き出し」と「二つの茶碗」を読んだだけだけど、なかなかおもしろい。特殊能力を持った〝常野一族〟が描かれていく、静かで壮大な物語だ。

 「獣の奏者」《完結篇》を読みかけであり、また、その他にも積読状態の待機本が多い中で新たな本に手を出すのは無謀なる試みかもしれないが、やめられないんだよね。
 このあいだは手塚治虫の「ブッダ」を全巻読破したけど、なかなか奥が深くて考えさせられることがいろいろあって良かった。
 まあ、このような読書遊歩生活からは当分足を洗うことはできそうにないね……。
 へっへっへっへっへ……。

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2009年9月20日 (日)

過食は禁物

 美味しいものを少量食べる。健康を維持するためにも過食は禁物。

 多くを求めてはならない。なにごとも「ほどほど」・「適量」をわきまえることが必要。強欲は結局、自らを滅ぼすこととなる。「必要な量」を「必要なとき」に周囲から譲り受けるという感覚――自然と共生する感覚――を身につけなければならない。

 ああ、そういう意識を常に持つことができたなら、この世の争いごとや不条理な状況のかなりの部分をなくすことができるかもしれないのに。
 そして、知らぬ間に背後から忍び寄り、勝手に胴のまわりに棲みついた「贅肉」も水際で撃退できたかもしれないのに。

 適量を心がけることは、メタボ対策のみならず、不均衡で不平等な世の中や自然環境をも守る「コツ」なのかもしれない。
 なんてことを、ちょっと考えた日曜の午後……。明日は仕事……。

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2009年9月13日 (日)

純文学的な手法

 久しぶりの、本当に久しぶりの更新です。
 なんせ「あけましておめでとう!」以来の更新になるのですから……。

 さて、今日は「純文学的な手法」について思うところを少し書いてみます。なあに、そんなに堅苦しい内容ではありません。あくまでも私が勝手に思い込んでいることを書き散らすだけですので。ははん、ふうん、こんな風に考えている奴もいるのか、って感じで軽く読み流していただけましたら幸いです。

 まずは分類・整理――「純文学」と「大衆文学(エンタメ系)」の違い――を。
 小説に限らず、テレビ・映画・アニメ・漫画などあらゆるメディアを通じて、それらを描く手法・目的によって私は次のように分類しています。

  ◆純文学的な手法
    「物象」を描くことで「心象」を浮き彫りにする手法。

  ◇大衆文学的な手法(エンタメ系の手法)
    「物象」を描き、「物象」そのものの動きを愉しむ手法。

 我々を取り巻く日常の出来事を「物象」とみるなら、直接目にすることができない「心象」――人の心の風景――を鋭くえぐり、心の闇・真理をあぶり出すように映すやり方のことを「純文学的な手法」というのではないでしょうか?
 もちろん、上記ふたつの手法はどちらか一方に偏っているわけではなく、どちらに重きを置いているのか、という類のものではありますが、でも明らかに志は違うように思います。
 だから、純文学的な手法で描かれるものには、ストーリイを追って得られる愉しみだけではない何か――活字やスクリーンの向こうに広がる、人には解くことのできない真理のようなもの――が用意されているような気がするのです。そしてそれが、人のココロをゆさぶり動かす力になっているのではないでしょうか? 10年経っても、100年経っても、描き出された神髄は損なわれることなく、永久に後世へと遺されていくのではないでしょうか?

 結局、私は何が言いたかったのでしょうね?(^^;
 なんか久しぶりの更新だったので、覚え書きのように書いちゃいましたけど、これからはもう少しマメに更新できるよう――自分なりに――がんばります!

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