2011年1月 1日 (土)

開高健の写真

 元旦づけの朝日新聞が12面全面を使って集英社のコマーシャルを掲載していた。

 ――兵士に囲まれ、平和を思った。
 ――平和に囲まれ、君は何を思う。

 ――読む人と、つくる人がいて、本になる。
          集英社

 開高健のあまりにも有名な写真が使われていた。
 彼が1965年2月14日にベトナム戦争における従軍記者としてアメリカ軍部隊に帯同中、銃撃戦に巻き込まれた直後に撮影された一枚の写真。全身を弛緩しジャングルに坐り込む開高健の焦点の定まらぬ双眸には、決して見てはならないものを見てしまった人間の絶望が見てとれる。
 わたしはこの写真を見るといつも固まってしまう。絶望の淵を覗き込んでしまった開高の目から視線を外せなくなってしまうのだ。

 地球に生きるひとりの人間として、2011年始まりの日にこのことを記しておく。

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2010年12月31日 (金)

雪の広沢池

 2010年最後の日は朝から雪。京都では近年まれにみる大雪かな?
 買い物から帰ってから、ついつい雪の降るさまがうれしくって近くの広沢池まで散歩してしまった。傘をさしながら雪景色をパチリ。その一部をサイズダウンしてアップ!

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 遍照寺山は雪にかすみ、水を抜かれた池には雪原が広がっていた。池も道も、地上の全てが白く覆われ、時間だけが静かに流れていく……。そんな一日だった。

 さようなら2010年!!

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2010年12月27日 (月)

アヴェ・マリアを聴きながら

 久しぶりの、あまりにも久しぶりのブログ更新。一年以上の沈黙を破り、みなさまの期待に応え(?)、重大発表!……なんてことはなく、ただの更新。アヴェ・マリアを聴きながら、思いつくまま記録にとどめておこう、てな感じ……。

 まず、アヴェ・マリアについて。
 少し前まではバッハ/グノーのアヴェ・マリアがいちばん好きだったけど、いまは俗に言う「カッチーニ版」にはまっている。CDからMDにダビングしてまとめておき、そいつを繰り返し聴いたりしている。それで気づいたのが、同じ曲を同じ楽器で弾いていても、演奏者(もしくは歌い手)によって全然感じが違う、ということ。
   ◆ヘイリー・ウィステンラ(ソプラノ)
   ◆ユ・シュチン(ソプラノ) ←何かのクラシック全集から
   ◆水谷川優子(チェロ)
   ◆古川展生(チェロ)
   ◆池松宏(コントラバス)
   ◆池田昭子(イングリッシュホルン)
 どれもそれぞれすばらしい演奏(歌唱)なんだけど、ヘイリーの透きとおった声と水谷川のチェロ――クライマックス部分で弦の響きに「啼き」が入る感じ――がなんとも心地よくてイイ!

 さて、今年一年間に鑑賞した映画(劇場で見た分のみ。TVやDVDは除く)は?
   ◆オーシャンズ(1/23)
   ◆プリンセスと魔法のキス(3/6)
   ◆花のあと(1/14)
   ◆アリス・イン・ワンダーランド(4/24)
   ◆ウルフマン(4/28)
   ◆オーケストラ!(5/1)
   ◆ねこタクシー(6/12)
   ◆瞳の奥の秘密(9/25)
   ◆パンドラム(10/1) ←パンフレット製作してくれ!
   ◆マザーウォーター(10/30)
 今年はまあまあ、いろいろ見れたかな? 厳しいハズレはなかったし、どれもそれなりに愉しめたので満足。

 本に関してはいろいろありすぎて省略。話したくなったときに、都度取り上げることにする。あんまり気負うとまた長期休止に入ってしまうので、これからは思いつくままの話題を少しずつピックアップして、できるだけチョコチョコ更新していきたいと思う。中身がなくてもいいじゃない、と開き直りつつ……。

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2009年9月27日 (日)

常野物語

 恩田陸の《常野物語》を購入した。現時点、単行本・文庫本、それぞれ3冊ずつ刊行済みのよう。
   ◆光の帝国
   ◆蒲公英草紙
   ◆エンド・ゲーム
 前知識があったわけではなく、たまたまいつも立ち寄っている本屋で何かおもしろい本がないかと物色中に目についたもの。『光の帝国』と目が合った、というのが正確かもしれない。
 連作短篇の形態をとっている『光の帝国』の中の「大きな引き出し」と「二つの茶碗」を読んだだけだけど、なかなかおもしろい。特殊能力を持った〝常野一族〟が描かれていく、静かで壮大な物語だ。

 「獣の奏者」《完結篇》を読みかけであり、また、その他にも積読状態の待機本が多い中で新たな本に手を出すのは無謀なる試みかもしれないが、やめられないんだよね。
 このあいだは手塚治虫の「ブッダ」を全巻読破したけど、なかなか奥が深くて考えさせられることがいろいろあって良かった。
 まあ、このような読書遊歩生活からは当分足を洗うことはできそうにないね……。
 へっへっへっへっへ……。

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2009年9月20日 (日)

過食は禁物

 美味しいものを少量食べる。健康を維持するためにも過食は禁物。

 多くを求めてはならない。なにごとも「ほどほど」・「適量」をわきまえることが必要。強欲は結局、自らを滅ぼすこととなる。「必要な量」を「必要なとき」に周囲から譲り受けるという感覚――自然と共生する感覚――を身につけなければならない。

 ああ、そういう意識を常に持つことができたなら、この世の争いごとや不条理な状況のかなりの部分をなくすことができるかもしれないのに。
 そして、知らぬ間に背後から忍び寄り、勝手に胴のまわりに棲みついた「贅肉」も水際で撃退できたかもしれないのに。

 適量を心がけることは、メタボ対策のみならず、不均衡で不平等な世の中や自然環境をも守る「コツ」なのかもしれない。
 なんてことを、ちょっと考えた日曜の午後……。明日は仕事……。

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2009年9月13日 (日)

純文学的な手法

 久しぶりの、本当に久しぶりの更新です。
 なんせ「あけましておめでとう!」以来の更新になるのですから……。

 さて、今日は「純文学的な手法」について思うところを少し書いてみます。なあに、そんなに堅苦しい内容ではありません。あくまでも私が勝手に思い込んでいることを書き散らすだけですので。ははん、ふうん、こんな風に考えている奴もいるのか、って感じで軽く読み流していただけましたら幸いです。

 まずは分類・整理――「純文学」と「大衆文学(エンタメ系)」の違い――を。
 小説に限らず、テレビ・映画・アニメ・漫画などあらゆるメディアを通じて、それらを描く手法・目的によって私は次のように分類しています。

  ◆純文学的な手法
    「物象」を描くことで「心象」を浮き彫りにする手法。

  ◇大衆文学的な手法(エンタメ系の手法)
    「物象」を描き、「物象」そのものの動きを愉しむ手法。

 我々を取り巻く日常の出来事を「物象」とみるなら、直接目にすることができない「心象」――人の心の風景――を鋭くえぐり、心の闇・真理をあぶり出すように映すやり方のことを「純文学的な手法」というのではないでしょうか?
 もちろん、上記ふたつの手法はどちらか一方に偏っているわけではなく、どちらに重きを置いているのか、という類のものではありますが、でも明らかに志は違うように思います。
 だから、純文学的な手法で描かれるものには、ストーリイを追って得られる愉しみだけではない何か――活字やスクリーンの向こうに広がる、人には解くことのできない真理のようなもの――が用意されているような気がするのです。そしてそれが、人のココロをゆさぶり動かす力になっているのではないでしょうか? 10年経っても、100年経っても、描き出された神髄は損なわれることなく、永久に後世へと遺されていくのではないでしょうか?

 結局、私は何が言いたかったのでしょうね?(^^;
 なんか久しぶりの更新だったので、覚え書きのように書いちゃいましたけど、これからはもう少しマメに更新できるよう――自分なりに――がんばります!

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2009年1月 1日 (木)

あるよ!

〝あけましておめでとうございます!!〟

 年頭ということで、今年の抱負(?)というか、モットー(?)のようなものを。
今年はどのような状況にあろうとも、「あるよ!」と応えられるタフさを持ちたい!

 年末年始にかけてキムタク主演のドラマ「HERO」の再放送がやっていたけど、その中に出てくるバー「St.George's Tavern」の田中要次扮するバーテンダーの台詞
「あるよ!」
 がカッコイイんだよね。どんな料理の注文を受けようとも
「あるよ!」
 のひとことで完璧に応えるところがシブイ!

 これって別に料理だけでなく、仕事でも、プライベートの頼まれごとでも、何に対してでも言ってみたい究極の台詞だよね。有能な執事だったらさしずめ「かしこまりました」だわね。

「あるよ!」 「できるよ!」 「まかしといて!」 「OK!」 「ノープロブレム!」

 今年はこれでシブく決めたいなあ、と思う元日のこの頃……。
 わが家で密かなブーム、「あるよ!」をよろしく。

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2008年12月31日 (水)

大晦日

 ついに、年末、大晦日。
ただいま紅白歌合戦を視聴しながら、新聞読んだり、「ながら中」。
 プライベート・ダイアリーを見て一年を振り返ると、いろいろあったような、なかったような、微妙な感じかな? と言いながら、今年いちばんのイベントはプリンスエドワード島へ旅行したことだなあ……。良かった。あれは本当に良かった。
 年末にテレビ大阪で再放送(正確には再放送ではないのだが)されていた「機動戦士ガンダム」(いわゆる〝ファースト〟ってやつ)も懐かしくて良かった。脚本がいいから、セリフがカッコイイんだよね。

 ところで紅白、イマイチだねえ。心に響いてくる歌が皆無に近い。さあ、今年最後の風呂に入るとするかな?

 来年もよろしく!!

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2008年12月 7日 (日)

「本」が趣味?

 いろいろ好きなことや好きなものはあるけれど、もしも、何かひとつだけ選べと言われたら「本」になるかな? 読書も好きだし、蔵書することも好き。
 大昔の偉人、少し過去の著名人、手の届かない現代の有名人。
面と向かって会うことのできない人でも、その人の著作を読むと「人となり」を知ることができる。何を考え、何をしようとして、どう生きようとした(している)のか。さまざまなことに触れることができる。
 「読書」とは「対話」なのかな、と考える。対象となる本の向こう側に、著者の姿が見え隠れする。本来、会えないはずの人物と、心のなかで語り合うような、そんな感じがする。一方通行ではあるけれどね。

 というようなことを、最近、あらためて感じた。

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2008年11月28日 (金)

石油という悪魔

 地球温暖化対策の一環として、化石燃料(石油)に代わるエネルギーの確保が急務となってきている。二酸化炭素の増加が本当に地球温暖化を助長しているのかどうかについては、異論もあるようでよくわからないが、ここでは直接影響があるものと考えることにしよう。
 例えば、自動車でいえば電気自動車の方がガソリンや軽油で走る車より「走行時に排出する二酸化炭素がゼロ」なので地球にやさしいと言われているが、本当に地球温暖化対策になるのであろうか? いろいろと疑問が多い。
 確かに、走行時の二酸化炭素排出はゼロだろうが、動力源となる電気をどうやって生成しているのか? 火力発電の燃料は結局、化石燃料(石油)だし、核分裂による熱エネルギーを利用するダーティな原子力発電にしたって、核燃料の濃縮には化石燃料(石油)が必須だし。電気自動車を考えるときは、その動力源たる電気をどのような手段で得ているか、その過程で生じている環境負荷についても勘定に入れなければならない。トータルでどうなのか――地球温暖化対策に効果ある勘定となっているのか――について、素人にもわかりやすいように説明した資料や報道を見たことがない。相互に利権を得るために癒着した「政官財」にだまされてはいないか? 注意しないとエライことだ。

 19世紀には、「石炭」という小さな悪魔を地上に解放してしまった。20世紀には、「石油」という大きな悪魔を地上に解放してしまった。地中深くに、エネルギー形態としては安定した状態で存在していた彼らをわざわざ掘りおこして、ご丁寧にも火をつけてしまった。静かに眠っていた「かわいい悪魔」を地上で「燃えたぎる悪魔」に変貌させたのは、我々人間だ。どうすれば、ふたたび悪魔を封印できるのか?
 答えは簡単かもしれない。元の「炭化水素」に戻して、人間の手の届かない地中に返せばいいのだ。地上に存在している「石油」を減らしていくのだ。だって、あれば燃やしてエネルギーとして利用したくなるでしょ。

 なんか、愚痴めいた文章ばかりですみません。なんで今日はこんなことになっちゃったのかな? インドで起こったテロのせいかな? それとも……。
 とりあえず、この地上には「悪魔」が多すぎる! ということかな?

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